長島忠美さんの命日の8月18日、やまこし復興交流館おらたるで「第6回 長島忠美 追悼~天空の茶会~」が開催されました。私達は、夫人の長島久子さん、元秘書の今村房子さんと連れ立って参加しました。
亭主は長島さんの孫・忠育(ただなり)さん。その弟の忠晴さんが半東。その貴重なお茶を、故人を偲びながらいただきました。
この茶会は、長島さんの同級生の太田裕さんと奥様の藤絵さんが運営する「表千家われもこう」が主催し、今年で6回目になります。長島忠美さんの人柄がしのばれます。
タグ: 長島忠美
故・長島忠美さんの民宿で催された「三太夫茶会」に参加!
中越地震から18年目の旧山古志村へ!
今年最後の「山古志三太夫マルシェ」!
上智大学で講義!「行政の現場と法令の役割-中越地震からの復旧・復興の実例から-」
6月15日、小幡純子・上智大学法学部教授の依頼で、「行政の現場と法令の役割-中越地震からの復旧・復興の実例から-」と、題して講義をしました。
災害対策基本法、災害救助法等の法令が、災害現場でどのような役割を果たすか?また、どのような限界があり、現場からの要請でどのように改正されてきたか?等について、中越地震の現場での実例を話しました。
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36年間の想いが結実!フェニックス大橋開通
11月24日、東西道路フェニックス大橋と左岸バイパスの開通式をアオーレ長岡と現地で行いました。
都市計画決定から36年の関係者の想いを知っていただきたく、式典での私の挨拶を全文掲載いたします。
市長挨拶全文
長岡市民の悲願、長岡東西道路フェニックス大橋の開通の日を迎えました。長岡市民を代表してお礼を申し上げます。
長岡東西道路は今から36年前の昭和52年、長岡ニュータウン構想に合わせて故・田中角栄先生の強いお力添えで都市計画決定されました。
その後22年を経て、平成10年に新潟県管理の国道404号として事業化されました。
その後、財政難から進捗状況が必ずしも思わしくない中で、ある日、今は亡き真島一男先生から「森君、このままでは何年かかるか分からない。道路法の直轄権限代行事業にするしかないぞ」とアドバイスをいただきました。
その後中越地震が発生し、長岡の防災力向上のためには、東西道路が必要不可欠であることを改めて認識し、直轄権限代行事業採択への行動を本格化させました。(続く) 続きを読む 36年間の想いが結実!フェニックス大橋開通
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