11月24日、東西道路フェニックス大橋と左岸バイパスの開通式をアオーレ長岡と現地で行いました。
都市計画決定から36年の関係者の想いを知っていただきたく、式典での私の挨拶を全文掲載いたします。
市長挨拶全文
長岡市民の悲願、長岡東西道路フェニックス大橋の開通の日を迎えました。長岡市民を代表してお礼を申し上げます。
長岡東西道路は今から36年前の昭和52年、長岡ニュータウン構想に合わせて故・田中角栄先生の強いお力添えで都市計画決定されました。
その後22年を経て、平成10年に新潟県管理の国道404号として事業化されました。
その後、財政難から進捗状況が必ずしも思わしくない中で、ある日、今は亡き真島一男先生から「森君、このままでは何年かかるか分からない。道路法の直轄権限代行事業にするしかないぞ」とアドバイスをいただきました。
その後中越地震が発生し、長岡の防災力向上のためには、東西道路が必要不可欠であることを改めて認識し、直轄権限代行事業採択への行動を本格化させました。(続く)
当時、国土交通事務次官だった佐藤信秋先生には強力なお力添えをいただきました。また、長島忠美先生からは何度も国土交通省に足を運んでいただきました。
幸い新潟県ご当局からもご理解をいただき、地震から2年後の平成18年に、橋梁区間が直轄権限代行事業として採択されることになりました。
その結果、採択後7年という短期間で完成し、本日を迎えることができました。
長岡東西道路フェニックス大橋の開通により、昭和60年の大手大橋以来、実に28年ぶりに信濃川に新しい橋が誕生いたしました。また、本日一緒に開通した左岸バイパスにより、さながら長岡藩の旗印「五間梯子」のようなラダー型の幹線道路網が完成いたしました。
小林孝平元市長の強い意欲と日浦晴三郎前市長のご苦労を引き継ぎ、本日の開通式を迎えることができた私は、本当に幸せな市長です。
国土交通省、及び、新潟県ご当局のご英断はもちろん、国会議員、県議会議員の皆様、地権者の皆様、地元町内会の皆様、長岡商工会議所を始めとする経済界の皆様、そして施工を担当された業者の皆様など、本日私がお礼申し上げるべき方々は本当に大勢いらっしゃいます。ご尽力いただいた皆様方に心から感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
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