フェニックス大橋への期待を込めて中学生が意見を発表

20131126hashi-1 東西道路フェニックス大橋の開通式で、西中学校生徒会長の藤巻薫平さんと宮内中学校生徒会長の岡樹季さんが、しっかりとした意見発表をしてくれました。
 そこで、全文を掲載させていただきます。

西中学校生徒会長・藤巻薫平さん
 本日はフェニックス大橋の開通、誠におめでとうございます。
 この橋が架かることによって、川の東側と西側が結ばれ。交通の利便性がよくなるとともに、今まで以上に市民の皆様の交流が増え、長岡市がますます発展していくことになるでしょう。また、フェニックス大橋の下には、西中学校美術部の生徒が描いた絵が隠れています。私たちが大人になった時まで残っていると思うと、とてもうれしく思います。
 長岡市の紋章というのは不死鳥をイメージし、長岡の「長」という文字を図案化してできたものとされています。
20131126hashi-2 今まで長岡は戊辰戦争、第二次世界大戦の長岡空襲の二度にわたって市街が壊滅的被害を受けました。ですが先人の努力により今の長岡があるのです。
 そして長岡市はこれからも発展していくことでしょう。その中でこのフェニックス大橋が市民の皆様の生活の支えとなって新しい時代へと長岡が生まれ変わっていくのだと思います。その中でも橋の名前にあるように「フェニックス」、永遠に時を生きる鳥、不死鳥のように、先人の思いをいつまでも受け継いでいくこと大切だと思います。そして私たちのような中学生やこれからの長岡を支えていく人たちは長岡市民の誇りを持ち、自分たちの手で新しい長岡を支えていけるような人になりたいと思います。
 このフェニックス大橋が川の東側と西側を繋ぐ橋になるだけではなく、人と人との心を繋ぐ懸け橋のような存在になってほしいと思います。(続く)
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36年間の想いが結実!フェニックス大橋開通

20131125hashi-1 11月24日、東西道路フェニックス大橋と左岸バイパスの開通式をアオーレ長岡と現地で行いました。
 都市計画決定から36年の関係者の想いを知っていただきたく、式典での私の挨拶を全文掲載いたします。
市長挨拶全文
 長岡市民の悲願、長岡東西道路フェニックス大橋の開通の日を迎えました。長岡市民を代表してお礼を申し上げます。
長岡東西道路は今から36年前の昭和52年、長岡ニュータウン構想に合わせて故・田中角栄先生の強いお力添えで都市計画決定されました。
20131125hashi-2  その後22年を経て、平成10年に新潟県管理の国道404号として事業化されました。
 その後、財政難から進捗状況が必ずしも思わしくない中で、ある日、今は亡き真島一男先生から「森君、このままでは何年かかるか分からない。道路法の直轄権限代行事業にするしかないぞ」とアドバイスをいただきました。
 その後中越地震が発生し、長岡の防災力向上のためには、東西道路が必要不可欠であることを改めて認識し、直轄権限代行事業採択への行動を本格化させました。(続く) 続きを読む 36年間の想いが結実!フェニックス大橋開通

開通間近のフェニックス大橋でアートイベント

20130604phenixbridge-1 6月2日、11月末の完成を目指して工事が進むフェニックス大橋の視察に行ってきました。
 ちょうど、橋面の舗装前コンクリートをキャンパスとして市民から橋への想いなどをメッセージや絵として表現してもらうイベントが実施中でした。
 9月から始まる舗装工事後は見えなくなりますが、未来への「タイムカプセル」として路面下で永遠に残り続けます。
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「フェニックス大橋」に名称決定

 来年度竣工予定の信濃川に架かる新しい橋の名称が、「フェニックス大橋」に決定しました。
 11月21日、「長岡東西道路橋梁名称選定委員会」(委員長:渡辺誠介・長岡造形大学准教授)を開催、全国各地から応募された5,475点の名称案の中から決定されました。
 その結果の報告のため、選定委員の渡辺誠介委員長、中村真衣さん、高頭光一さん(西中学校生徒代表)、馬場静羽さん(宮内中学校生徒代表)の4人が、委員会終了後、長岡市役所を訪れました。(写真)
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