「NPO法人ネットワーク・フェニックス」設立10周年記念祝賀会で挨拶!”感謝”の一言!


 2004年10月の新潟県中越大震災の翌年、一日も早い復興を祈願して、「世界一の壮大な花火を打ち上げたい」という思いから、大勢の方々から寄付を集め、震災の翌年、2005年の長岡大花火大会から12年間打ち上げ続けてきた「復興祈願花火フェニックス」。
 NPO法人ネットワーク・フェニックス設立10周年記念祝賀会で私は、感謝状をいただきました。しかし、私は、関係者の皆さんが、これまで血のにじむような努力をしてきてくださったことに対し、市長として大いに励まされました。むしろ、私から感謝状をお渡ししたい気持ちになりました。

 最初、皆さんから計画を伺ったとき、私は、大きな喜びと期待と合わせて、一抹の不安をいだきました。
 喜びと期待は、私の市政の原点である「市民力」そのものであったからです。長岡の復興を願う切実な気持ちが若者を動かしたことは、以後の長岡の発展を若者が牽引してくれることを予想させてくれたからです。
 一方、無謀な計画だという批判も数多く寄せられるなかで、もし、途中で失敗するような事態が生じた場合、長岡市の若者は深い痛手を負うに違いないと思いました。「絶対に成功してもらわなければならない。」と、私なりに強く決意しました。
 しかし、行政が前面に出ては意義が薄くなってしまいます。出すぎないように、しかし、しっかりと支えることを職員に指示しました。祈るような気持ちで迎えた最初の打ち上げ、体が震えました。感動しました。
 以来、フェニックスを支える石田さん、樋口さんを中心とする皆さんは、血のにじむような努力をされてこられました。また、様々な難しいご要望もいただきながら、一緒に考えながら課題を解決してきたと思います。
 その後、長岡花火は、「天地人花火」、「この空の花」、「故郷はひとつ」、「空を見上げてごらん」など、数多くの名物花火を生み出し、ついには、真珠湾での平和を祈る花火の打ち上げまで発展しました。その魁となったのが、あの時の若者の壮大な夢でありました。
 これまで大変な努力をしてこられた皆さんに心から感謝申し上げますとともに、新しく代表に選任された土田さんに、今後の更なる発展を期待します。