徳川恒孝、牧野忠昌、牧野忠由の三氏がアオーレ長岡を見学 石川忠久氏がアオーレ長岡の漢詩を創作


20120705-1_tokugawa.jpg 長岡歴史フォーラムに出席するため長岡を訪れた徳川宗家18代当主・徳川恒孝(つねなり)さん(私の右隣)、長岡藩牧野家17代当主・牧野忠昌さん(向かって左から二人目)、三根山藩牧野家15代当主・牧野忠由さん(向かって右端)、NHK漢詩紀行でおなじみの石川忠久さん(私の左隣)に、アオーレ長岡で開催中の三島の竹あかりをご覧いただきました。

20120705-2_tokugawa.jpg 皆さんは、広々としたナカドマでの幻想的なイベントを目の当たりにし、市民に開かれた市役所というアオーレ長岡の趣旨をすぐに理解されました。

 石川忠久さんから、アオーレ長岡を読み込んだ漢詩をいただきました。(写真)
 漢詩は、長岡城はなくなってしまったが、その跡地にアオーレ長岡という立派な城ができたという趣旨です。
詳細は「続き」をご覧ください。

 実は、「長岡城が戊辰戦争で焼け跡地が長岡駅になったことは残念な面もあるが、その反面、駅と中心市街地との関係が他都市にはないほど理想的都市構造となった。アオーレ長岡も二の丸跡にあるが、市庁舎や市民の憩いの広場が駅や都市構造上理想的な位置関係にあり評価すべき面もある。」という意見を、私からが皆さんにお話ししました。
 石川先生は、この話に感銘を受けて漢詩に折り込まれたというわけです。

 以下、横書きですが、漢詩とその解釈を掲載します。

  舊時統帥近時将
  文質彬彬幾俊英
  勿嘆兜城城跡廃
  可看輪奐市廰城

  旧時の将(河井継之助)と近時の将(山本五十六)
  共に徳と才智とが調和した俊英であった
  兜城(長岡城)がなくなったことを嘆くことはない
  見てごらんなさい 広大で立派な広々とした市庁の城を

 私は、漢詩が大好きで、当然NHKの漢詩紀行を見て石川忠久先生の大ファンになり、中国滞在中も漢詩の故郷を旅行して回りました。
 このようなアオーレ長岡の本質の一端を表現した漢詩をいただき、まさに感慨無量です。