火坂雅志さんを偲ぶ会に参列し弔辞を奉読


弔辞を拝読 4月20日、メディアシップ・2階日報ホールで開催された「火坂雅志さんを偲ぶ会」に出席し、約200人の参列者の前で弔辞を奉読しました。
 小田敏三・新潟日報社代表取締役社長による心のこもった追悼の辞の後、悲しみをこらえて、火坂さんと対談した際の思い出などを何とか言葉にすることができました。
 「続き」にその内容を掲載しました。

約200人が出席した会場 火坂雅志さんの、あまりにも早すぎるご逝去を心から悼み、慎んで哀悼の言葉を捧げます。
 火坂さんは、背筋を伸ばした日本人らしい生き方をしっかりと見つめたいという思いを、常に持ち続けておられました。その強い信念によってつづられた「天地人」は、今の時代に希薄になっている「義」や「仁愛」の心の大切さを世に問う作品でありました。その「天地人」が大河ドラマとなり、全国的に高い評価を得たことは、直江兼続公を敬い、大切にしてきた長岡市をはじめ、上越市、南魚沼市、米沢市など、ゆかりの地域にとって、この上ない喜びでありました。これらの各地域は、今も強い絆で結ばれております。
愛用の文具や色紙
 火坂さんは、本当に心のやさしい方でありました。直江兼続公を大河ドラマにしようと活動している各地域の皆さんのことを、自分のことのように気にかけられていて、私との対談の中で、「大河ドラマの決定を聞いた時、真っ先に皆さんの喜ぶ顔が目に浮かびました」とおっしゃっておられました。
長岡市においても、与板の皆さんが、浄財を募ってお船の方を顕彰する石碑を建立することになり、火坂さんからは、快く揮毫を引き受けていただきました。その石碑に込められた火坂さんのやさしい心は、永遠に与板の皆さんの誇りとなることでしょう。
 長岡まつり大花火大会で「天地人花火」をご覧になられた際に、花火に酔いしれる観衆の皆さんを目の当たりにして、本当に喜んでおられた火坂さんの笑顔が今も目に浮かんで参ります。

 私は、河井継之助、小林虎三郎、三島億二郎という長岡の3人の偉人を題材にした作品を、ぜひ書いていただきたいとお願いをしたことがございます。その時火坂さんは、「河井継之助や小林虎三郎は常に脚光を浴びているが、三島億二郎のような、地味ではあっても、民に根差した活躍をした偉人にこそ光を当てたい。今の仕事が落ち着いたら、いずれ書きましょう」とおっしゃってくださいました。その機会が永久に失われたことが残念でなりません。

 背筋を伸ばした日本人らしい生き方を問い続けてこられた火坂さん。これまでに残された大きな足跡は、私たちの心にしっかりと刻まれております。火坂さんのその高い志を私たちの誇りとして、受け継いでいく決意です。
火坂雅志さんのご冥福を心よりお祈り申し上げまして、弔辞といたします。

「火坂雅志さんを偲ぶ会に参列し弔辞を奉読」への1件のフィードバック

  1. 初めてコメントさせていただきます。
    火坂先生の急逝は、とても残念でした。
    「新潟日報」で連載小説を執筆してほしかったです。
    「天地人」「黒衣の宰相」「新選組魔道剣」を読みました。

    2/10より「新潟日報」に「龍が哭く~河井継之助」が連載開始されました。
    秋山香乃先生が執筆、挿絵は中村麻美先生です。
    中村先生は「天地人」の挿絵も描かれました。

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