7月5日(土)、高田開府400年記念式典に出席し、新潟県市長会会長として挨拶をしました。
今回、河井継之助記念館館長・稲川明雄さんのおかげで、高田と長岡との関係を勉強して挨拶に取り入れることができました。
そのためか、大勢の方にお褒めていただいたので、全文を掲載します。
高田開府400年 誠におめでとうございます。
本日は新潟県内各地から市長がお見えでございます。代表してお祝いの言葉を述べさせていただきます。
長岡は4年後に開府400年を迎えます。高田のほうが先になりますが(笑)、実は私は大変プレッシャーを受けております。花火大会など盛りだくさんのイベントでまちをあげて盛り上がっています。
また、全国から市町村長さんが10名以上参加しておりますが、これも高田の実力です。これだけ大勢の市長が集まると、なんだか全国市長会の総会をやっているような気分になるわけですが・・・(笑)、素晴らしい式典になったのではないかと思います。(続く)
実は長岡市は、高田城を築城した松平忠輝公の時代は高田藩領であったわけです。蔵王堂城というお城がございまして、長岡のかなりの部分が領地でした。これは知っている人は少ないですが、長岡の深才地区の字名で「五郎八(いろは)」という地名がございます。これは、松平忠輝公の正室・五郎八(いろは)姫の領地だったわけでして、深いご縁がございます。
また、長岡城は残念ながら焼失したわけですが、高田城と同じころに築城されておりまして、松平忠輝公には大変ご尽力をいただいております。最新の学説では、長岡城のほうが先にできたという話もあるようですが・・・(笑)、長岡は牧野公が入城されたのをもって開府としておりまして、4年後になるということでございます。
このように上越と長岡は常にいい意味で切磋琢磨しております。戊辰戦争のときも複雑な関係でございますが、(笑)これはたかが140年前です。高田と長岡の友好関係は400年続いているわけです。本当に長岡市としては大変お世話になっております。改めて御礼申し上げます。(拍手)
私は、ふるさとに対する自信、誇りがまちを育て、かつ、人を育てると確信しております。全国市長会には813の都市自治体がありますが、813の自治体には813の誇りがあり、これが日本を形作っているわけです。ふるさとへの誇りこそが文化そのものであります。多種多様な文化がこの日本に存在することによって日本の活力が維持されています。
上越市におかれましては、開府400年を過去を振り返るだけではなく、新たな一歩を踏み出す出発の年にしていただきたいと思います。そして、上越市がさらに大きく発展し、前進していくことを確信しております。
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