東西道路フェニックス大橋の開通式で、西中学校生徒会長の藤巻薫平さんと宮内中学校生徒会長の岡樹季さんが、しっかりとした意見発表をしてくれました。
そこで、全文を掲載させていただきます。
西中学校生徒会長・藤巻薫平さん
本日はフェニックス大橋の開通、誠におめでとうございます。
この橋が架かることによって、川の東側と西側が結ばれ。交通の利便性がよくなるとともに、今まで以上に市民の皆様の交流が増え、長岡市がますます発展していくことになるでしょう。また、フェニックス大橋の下には、西中学校美術部の生徒が描いた絵が隠れています。私たちが大人になった時まで残っていると思うと、とてもうれしく思います。
長岡市の紋章というのは不死鳥をイメージし、長岡の「長」という文字を図案化してできたものとされています。
今まで長岡は戊辰戦争、第二次世界大戦の長岡空襲の二度にわたって市街が壊滅的被害を受けました。ですが先人の努力により今の長岡があるのです。
そして長岡市はこれからも発展していくことでしょう。その中でこのフェニックス大橋が市民の皆様の生活の支えとなって新しい時代へと長岡が生まれ変わっていくのだと思います。その中でも橋の名前にあるように「フェニックス」、永遠に時を生きる鳥、不死鳥のように、先人の思いをいつまでも受け継いでいくこと大切だと思います。そして私たちのような中学生やこれからの長岡を支えていく人たちは長岡市民の誇りを持ち、自分たちの手で新しい長岡を支えていけるような人になりたいと思います。
このフェニックス大橋が川の東側と西側を繋ぐ橋になるだけではなく、人と人との心を繋ぐ懸け橋のような存在になってほしいと思います。(続く)
宮内中学校生徒会長・岡樹季さん
この度はフェニックス大橋の開通、大変おめでとうございます。長岡市のシンボルがまた一つ増えたこと、また橋の開通に関われたことをとても嬉しく思います。
今年の六月、私は美術部員としてフェニックス大橋に絵を描くアートイベントに参加しました。描いた絵は舗装され今では見えなくなってしまいましたが、「みんなに愛される橋になってほしい」という願いがたくさんつまった橋です。
このフェニックス大橋が開通することによって、渋滞をさけ通勤・通学が便利になる人が多くいるのではないでしょうか。さらに左岸バイパスが開通することによって商業施設への行き来が便利になり、物流事業・地域の活性化に繋げることができるという利点もあると思います。その活性化の効果が中心地域だけでなく、周辺地域にも及ぶことで東西の文化や人との交流がもっと盛んになるような活気あふれる長岡になってほしいのです。
このように私たち長岡市民にとって便利で交流の懸け橋となるフェニックス大橋を利用できると思うと、うれしい気持ちでいっぱいです。是非多くの人達に利用してもらいたいです。
フェニックス大橋という名称には「中越地震からの復興に大きな役割を果たしてほしい」という意味が込められていることを理解したうえで利用していきたいです。また、八月の長岡祭りにはフェニックス大橋から大手大橋までの区間いっぱいにフェニックス花火が打ち上げられることを期待します。
そしてこの橋が人々の生活に寄り添っていけるような素敵なシンボルになってほしいと思います。
長岡市長 森 民夫 様
西中学校長の関谷と申します。昨年度まで3年間、学校教育課管理指導主事として勤務させていただきました。大変お世話になりました。
この度はフェニックス大橋、左岸バイパス同時開通、誠におめでとうございます。また、開通式典では本校の藤巻薫平生徒会長が生涯思い出に残る貴重な体験をさせていただいたうえ、市長ブログにてメッセージ全文を掲載いただきまして、校長として厚く御礼申し上げます。本人も大役を終え、安堵感とともに自覚と決意を新たにしております。今朝の全校朝会で、彼が左岸地区中学生代表として、自らの思いを堂々と話してくれたことを全生徒に伝えたところです。
また、日ごろ熱中!感動!夢づくり教育事業も活用させていただいております。今年度は西中夢企画を採用していただき、アテネオリンピックハンマー投げ日本代表の室伏由佳さんをお招きし、9月の講演会及び10月の越後丘陵公園での校内駅伝大会において交流させていただくことができました。生徒は困難との向き合い方を見つめ直したり、夢や目標に向かって一生懸命努力することの大切さ、仲間との絆の大切さやありがたさを実感しております。本当に長岡市が誇る教育施策に感謝の気持ちでいっぱいです。
この度のメッセージを西中生が共有し、これからも夢を描く力と生き抜く自信を育みながら、長岡をはじめ社会を支える人として、総合的な人間力を高めるよう、また、地域の信託に応えるよう、西中生、教職員一同、力を合わせて努めて参ります。
乱文にて失礼しました。本当にありがとうございました。