長岡花火は世界一の祈りの花火です


 今年の長岡大花火大会は、市長に就任して以来、最高といってよいコンディションになりました。
 例年ですと花火大会が近づくにつれ天気の心配をします。特に、昨年は直前の大雨で開催自体が危ぶまれる状況でしたが、今年は本当に楽な気持ちで大会を迎えることができました。
 大林監督も映画「この空の花」にちなんだ新しい花火(写真左)も、久石譲さんの主題曲にのって夜空を彩り、見守っていた大林監督をはじめ、出演者やスタッフの皆さんも感激で目を潤ませていました。
 花火「この空の花」は、長岡花火に込められた市民の想い、戦災殉難者への鎮魂、復興への希望、世界平和への祈りにふさわしい花火になりました。
 また、天地人花火(写真下)やフェニックス花火も、昨年に比べより進歩したように感じられます。 
 少なくても、10年前に比べ、大会の最初から最後まで一つのストーリーが感じられるようになったのではないでしょうか。

 今年も、大勢の財界人や文化人の皆さんに長岡の花火を堪能していただきました。
 ハワイ日米協会のシャロン・ウェイナー会長一行。映画「この空の花」の出演やスタッフの皆さん。大河ドラマ天地人の常盤貴子さん。エンジン01の茂木健一郎さんや乙武洋匡さん等々本当に大勢の方に見ていただきました。
 
 なお、私の開始前の挨拶について、毎年聞く市民の中には長すぎるとお感じになっている方もおられると思いますが、全国からお越しのお客様に長岡花火に込められた市民の想いをお伝えすることは市長の努めと考えていますので、ご理解ください。なお、「続き」に私の挨拶の全文を掲載します。

 平成24年長岡大花火大会挨拶
 皆さん、ようこそ長岡大花火大会に足をお運びいただきました。本日は、ここ数年来で最高のコンディションです。雲もなく、風は川下から川上に向けてやや強く吹いており、煙が邪魔になりません。

 長岡市民は、長岡の花火に特別な思いがあります。ご想像してみてください。現在の形で長岡大花火大会が始まったのは、昭和22年。1,482名もの犠牲者を出した長岡大空襲からたったの2年後です。まだ焼け野原が広がっていたことでしょう。食べ物にも困っていたことでしょう。復興への希望も見いだせない状況の中で、犠牲者を弔い、復興への願いを込めて花火を打ち上げる。この決断は並大抵のものではなかったはずです。
 以来65年間、多くのスポンサーや市民の皆様のご協力をいただきながら、鎮魂、復興、世界平和への強い思いを込め、8月2日と3日を特別の日と定め、花火を打ち上げ続けてまいりました。
市民にとって、花火の「花」は、犠牲者へのたむけの花、花火の「火」は、復興への希望の火であります。

 この長岡の花火の心は、今や、日本中、いや、世界中に広がりつつあります。今年3月には、山本五十六連合艦隊司令長官の出身地である長岡市とホノルル市とで姉妹都市を締結し、両市の永遠の友好と世界平和への願いを込め、ワイキキ沖で長岡花火を打ち上げました。翌4月には全米さくら祭り100周年記念イベントとしてワシントンのポトマック河畔で打ち上げました。日米戦没者への鎮魂と平和への願いが、戦争の痛みを知る長岡人の思いが、全米、そして全世界に届いたものと確信しています。
 また、一昨日は、石巻市の川開き祭りで、中越地震からの復興のシンボルであるフェニックス花火が夜空に舞い上がり、石巻と長岡の絆を深めました。
そして、長岡市民の魂が込められた大林映画「この空の花」は、全国で上映され多くの人々を魅了し、かつ、励まし続けています。そして、本日は、映画を祈念する花火「この空の花」を打ち上げます。

 このような花火大会は世界中のどこを探してもありません。長岡人の魂が込められた長岡大花火大会は日本一ではありません。世界一の花火大会です。
 皆さん、長岡人の思い、祈り、そして誇りを感じ取っていただきながら、長岡大花火大会を心ゆくまでご堪能ください。