8月1日は、長岡空襲により、1480名の命が犠牲になった日です。
市民にとって特別の思いがあるこの日は、平和を祈る様々な行事が行われます。
写真は、1日夜に行われた柿川の灯篭流し(長岡青年会議所主催)の様子です。
前日の31日夜には、市民の手づくりによる「平和の森コンサート」も開かれました。
1日早朝には、戦災殉難者慰霊祭(平潟神社)、戦災殉難者墓前法要(昌福寺)に続き、長岡市等の主催による「非核平和都市宣言市民の集い」を開催しました。(写真)
午後には、市民の実行委員会による「ながおか平和フォーラム」も開催され、中学生、高校生と長岡空襲体験者によるディスカッション等を行いました。
そして、灯篭流しをもって一連の慰霊の行事を終了し、一転して、戦災からの復興を願うエネルギーを凝縮させたかのような「長岡まつり前夜祭」の民謡流し、神輿渡御へと昇華していきます。
私は、慰霊の行事から華々しい長岡まつりに至る一連の行事の流れをすべて経験してきましたが、この静から動へともいえる変化は、昭和22年当時の市民の心、つまり、慰霊と同時に復興を願う市民の心を率直に表したものではないかと考えるようになりました。