虎ノ門病院は、霞ヶ関官庁街から車で5分の至近距離にあり、建設省時代にお世話になった病院です。(写真は病室からの風景)
さて、病状ですが、翌日から、食事も完食、血圧や体温も正常、病院内を自力で歩き回る許可も出る等、すっかり元気を回復し、毎日、退屈との戦いになりました。
なお、主治医の先生は、新潟大医学部卒で長岡赤十字病院での勤務経験がある方でした。今回運が良かったと思われる点が数多くありましたが、このこともその中のひとつだったと思います。
本人は元気だっただけに、新潟での報道ぶりを見て、できるだけ早く元気な姿を見せなければいけないと思いました。
しかし、正確な診断のための検査が幾つか残っているため、すぐには退院できません。
結局、土地勘のある主治医の先生の判断で、症状の良好さに鑑み、残った検査は長岡赤十字病院で行うのがベストということになり、19日に退院ということになりました。
公務を5日以上休むのは市長に就任して以来初の体験です。暇があるというありがたい状況の中で普段できない経験をしました。
めったに見ることのないNHK教育テレビの最近の番組を見て教育政策のヒントが得られました。また、市長から見て、病院の運営に幾つかの改善点があると思いましたが、これについてはまたの機会に譲ります。
それにしても、若い女性看護師さんがまるで天使のように見えるという経験は、43年前の青春時代の甘酸っぱい感覚とあまり変わりません。
写真は、退院する際、病室で、厚生労働大臣から頂いた花をプレゼントしているところです。顔がマスクで隠れているのが残念!
「43年ぶりの入院その3―虎ノ門病院での入院生活」への1件のフィードバック
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